『邂逅5』散文詩のような甘美な文章からも、みぃの知性と感性の非凡さが伝わるのではないだろうか。
だが、綴られている内容は倒錯的で、実に淫靡なものだった。
私は彼女からのメールを何度も読み返した。
そしてついには、興奮に抗えず性器をしごきあげていた。未だ見ぬ彼女の肉体を脳裏に描きながら。
そう、狂おしいまでに、欲情していた。
翌日、私は美智子に告白することにした。
非凡なメールへの返礼として、彼女を想って射精した事実を、素直に告げるのがふさわしいと考えたからだ。
しかし、大人のすることではない。私は愚行の上塗りをしたことになる。
ところが・・・
そんな私を軽蔑するどころか、美智子も私のメールに劣情を煽られ、火照った身体を慰めていると打ち明けてくれた。
嬉しかった。救われたと思った。
この時より、私たちは互いの倒錯した妄想と日陰の欲望を共有しあうようになる。まさにそれは「共犯者」と呼ぶにふさわしい背徳的な関係でもあった。
それはそうだろう。
見ず知らずの男女が、互いの欲望と妄想を告白し合い、互いの姿を想像しながら自慰に耽っていたのだから。
そのような関係になって、私の美智子に対する恋心は、さらに激しく燃えあがっていく。
人には、それぞれに性的な願望があり、それを基に妄想を繰り返すようになる。その結果、他人には言えぬ欲望を持つに至り、相手を見つけた時に初めて情欲が生まれる。
そうした感情の変遷は、絶えず暗い情熱によって支えられ、たゆたう河の流れのように、形を変えても留まることを知らない。私の欲望の奔流が、彼女の欲望と重なり合って、怒涛のごとくに溢れはじめだしたのだ。
とはいえ、時に二人は、恋人同士のように甘い愛の言葉をささやき合うこともあった。それは、今にして思えばネットを介した恋人ごっこにすぎなかったかもしれない。
しかし、スパイク・ジョーンズの『her 世界でひとつの彼女』と同じように、当事者にとっては笑いごとでは済まされない切実な恋だったのだ。
まあしかし、恋に溺れて子供っぽくなってしまう経験は、誰にでも一度や二度はあるのではないだろうか。
なにせ恋のときめきは、人生のハイライトに他ならないのだから。
文字チャットを通じて心通わせ、メールで心と身体を開き合い、私は恋に陥ちた。偶然の出逢いとはいえ、親密になるのは必然だった。
そして、彼女に逢いたいという思いを次第に募らせていく。
けれど、二人はどちらも既婚者。しかも遠距離で、互いの顔さえ知らぬ間柄である。
そんな二人が実際に逢ったのは、ネットでの交流を一年以上も続けた後のことだった。
(『邂逅』END、『密会』につづく)
※体験を基に描いていますが、一部フィクションが含まれています。
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こんにちは
お写真と文章と、まるで小説を読んでいるようです。
お2人が強く想い合う気持ちがとても伝わってきます。
素敵ですね。
「密会」編を楽しみにしています。
みぃ様からコメントをいただきました。
とてもとても嬉しいです。^ ^
ブログを通じて交流が広がるのはとても嬉しいですね。